会社の後輩から”必読書”といって勧められた小説「壬生義士伝(浅田次郎)」は上巻下巻の分厚い小説でしたが思わず引き込まれてしまい一気に読んでしまった
もともと歴史小説はあまり読まないし歴史が好きではなかった
たとえば、大学受験で選択した”日本史”についてはひたすら暗記するのが嫌いで、社会人になってからもしばらくの間「大学受験に失敗してもう一年日本史を勉強しなければならない状況になる」という地獄のような夢にうなされることがあったほどに。教科書の中の世界は何だか古びていて霞がかっていて視界がはっきりとせず埃っぽい印象があって、生活習慣も見た目も現代人とは違う人たちが活動している歴史の中の世界にはどうしても気持ちが入りこむことができなかった
とはいえ時間の流れとは人を変えるもので、NHKの大河ドラマ「西郷どん」は十分に楽しめるようにもなったし、それがきっかけで幕末の歴史にも少しずつ興味を持ち始めていたところに偶然目の前に差し出された「壬生義士伝」は、以前から”うまい作家”だと思っていた浅田次郎の巧みな筆致に導かれ最後まで一気に読んでしまうことになるのでした
そんな偶然のタイミングも重なり、京都へ帰省した際にぜひ立ち寄ってみたいと思ったのが新選組が屯所として利用していたという壬生寺と八木邸だったという訳です
壬生寺
市バス3番に乗ってバス停「壬生寺道」で降りて、南下し、京福嵐山本線を過ぎると右手に見えてくる
境内は広くて、新選組はここで刀の練習なんかをしていたのだろうかなどと空想を膨らませる。芹沢鴨のお墓なんかもあります
壬生寺では境内をブラブラするにとどめて、次の目的地である八木邸に向かいました。八木邸は壬生寺のすぐ横、歩いてすぐの距離にあります
八木邸
壬生寺のすぐとなり、もしかしたら壬生寺の一角なんじゃないかというくらい近くにありました。手前が京菓子の店になっていてここで見学チケット(1000円。茶菓子と抹茶付き)を購入して、門をくぐります。どうやらこちらの京菓子店は八木家が経営しているみたいです
家に上がると係の人が説明をしてくれました
昔この辺りは周囲が畑だか田んぼだかでさえぎるものが何もなく二条城がよく見えたのだそうです。さえぎるものがない、周囲に何もない、という状況が守備にはとても便利らしく、敵から八木邸はよく見えるのでしょうが逆にこちらからも敵が近づいてくれば丸見えだということらしいんですね。そんなわけで新選組が八木邸を屯所として利用したのはものの3年くらいらしいのですが、守護すべき二条城に何かあればすぐ駆けつけられるし防御としても便利な立地あるということでこの八木邸が使われたようです
新選組には近藤勇を中心とした東京組と芹沢鴨の水戸藩組とが組み合わさっていたそうですが、双方もともとあまり折り合いがよくなかったらしい。しかし剣の腕ということではこの芹沢鴨が抜きんでていたそうです。そして体も大きかったらしい。そんな芹沢さんはずいぶんと酒癖が悪かったらしく、酒を飲んでは素行悪く暴れていたみたいなんですね。それでは京都守護職お預かりである新選組の巷における評判も悪くなってしまう。そこで松平さんの「芹沢のやつ、何とかならんか」という一言で意図を察した土方歳三他が芹沢鴨の暗殺を行った。「何とかしろ」は「殺せ」ということ。今も昔も偉い人は直接的に指示はせず下のものが上の意向を忖度するんですね。そして大将である近藤勇が手を下す訳にはいかないのでアリバイ作りのために近藤勇は暗殺当日は別の場所にいて報告だけ受け取ったそうです。こういう実行計画を描くのは土方さんがうまかった。ただ新選組の内紛ということでは都合が悪いので、暗殺したのは長州藩だ、ということにしたそうです。長州藩もとんだとばっちりだと思うのですが
暗殺当日は土方たちが芹沢鴨を連れだしてたくさんを酒を飲ませたそうです。もともと体が大きくお酒も飲むので酔っぱらってしまうまでにずいぶんと時間がかかったらしい。ようやく酔っぱらった芹沢さんは八木邸に戻ってきて妾さんとともにすっかり寝入ってしまった。大変な大雨の夜。芹沢さんが寝ているところを家の外から入ってきた数人の男たちが打ち込む。しかしさすがの芹沢、切られても脇差を手に大太刀周りで逆に切り込んでくる。若い沖田総司はさすがに血気盛んで芹沢とチャンチャンバラバラやるんだけど、芹沢さんはなんとか隣の部屋に逃げ込もうとする。逃げられた、と思った土方歳三はこの時点で今晩芹沢をやるのは難しい、この計画は失敗だ、と思ったそうです。ところが運命のいたずらとはこういうことなのでしょうか、逃げ込んだ隣の部屋には八木さんちのお子さんが勉強する小さな机が置いてあってそこに芹沢はつまずき、転倒したそうです。それが運命の尽き。とどめを刺す「えいっ!」という声は、八木家の人によれば「土方さんの声だった」そうです
部屋のカモイには沖田総司がつけたという有名な刀傷の後が残っていました
説明員の方が活写する話に引き込まれ頭の中が一気に幕末頃にタイムスリップし、志士たちの活躍に熱くなってしまったのち、お店で茶菓子と抹茶を頂いてほっこりクールダウン
現代に続く遺構がいまだに残っている京都の街の歴史に敬服しながら、壬生を後にしました。これは1000円払っても見る価値あるわ・・
壬生寺
住所:京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町31
新選組 壬生屯所旧跡(八木家)
住所:京都市中京区壬生梛ノ宮町24
電話:075-841-0751(京都鶴屋鶴寿庵)